2017年5月23日 今日は何の日?:ラブレターの日
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(5)「三太物語」と津久井の原風景(津久井町広報 平成15年1月1日号に掲載)
 去年の三月、文化福祉会館で開催された〈津久井の古地図展〉は、私自身、関係者の一人でもあったが、津久井のことを考えるのにたいへん勉強になった。

 中野で生まれ育った私にとって、例えば、天保十四年(一八四三)の「中野村絵図」は、自分自身の子供のころの記憶から、そこに描かれていることのほとんどを理解できた。川坂と不津倉があって、相模川が流れていたころの中野……。これが中野の、そして津久井の「原風景」というのだろう。

 津久井湖ができたのは一九六五年(工事開始は六二年)、中野はそこで大きく変わってしまったが、変わったのは中野だけではなかった。「高度経済成長期」と呼ばれるこの時期、日本中が変わってしまったのだ。

 歴史学者の網野善彦さんは、二十世紀後半の高度経済成長期にはじまる現代を、日本の社会の第二の大きな転換期としている。十四、五世紀から続いていた社会のあり方や、生活形態そのものが全体として根底から変わりつつある時代という意味である。

 〈津久井の古地図展〉は、まさにそのことを実感させてくれた。半世紀前の私の記憶は、現在の中野の姿よりも、江戸時代の古地図の世界のほうが、身近に感じられるのだ。

 そして、私の子供時代とも重なるが、この津久井の原風景の最後の姿を伝えるのが、あの「三太物語」だった。

 一九五〇年のNHK連続ラジオ・ドラマで、全国的に有名になった「三太物語」だが、著者・青木茂による原作は、四六年に始まり、七二年まで続いていた。けれども、三太が遊びまわった津久井の風景の中には、相模湖はあっても津久井湖は出てこなかった。道志川を中心に、津久井の自然を舞台にした三太の物語は、高度経済成長期の社会では成り立たなかった物語、まさに津久井の原風景のなかでの物語だったのだ。

 いま津久井では、町の商店街のポイント・カードを「三太かーど」と名づけ、活発な活動を行なっている。私自身も縁あって協力させていただき、そのパンフレットに次のように書いた。
《休みの日に、『三太物語』を手にとって、道志川ぞいの「三太の史跡巡り」でもしてみませんか。……この散歩で、もしかすると、この半世紀の間になくしてしまった大事なものなんかが見えてくるかもしれません。》

 一つ追加です。『三太物語』(偕成社刊)だけでなく、ついでにぜひ、『津久井の古地図』(〈津久井の古地図展〉のカタログ)も持っていってください。
三太かーど協同組合
相模原市緑区中野1029
TEL:042-780-7383
FAX:042-780-7384
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