| ・三太は心のふるさと |
| 2002年9月3日発行の「三太かーど」チラシに掲載 |
「三太」の物語が初めて世に出たのは、敗戦からちょうど1年目の1946年8月のこと、「かっぱの三太」というタイトルで、児童雑誌『赤とんぼ』に掲載されました。50年の4月から、この三太の物語は、NHKラジオの連続ドラマとして放送されるや、日本中に知られるようになりました。映画も4本ありました。テレビ放送は、フジテレビの連続ドラマで、61年からです。三太が渡辺篤史、花子はジュディ・オングでした。
この三太物語の舞台は「道志村」という架空の村ですが、実際は道志川流域の、青山から三ヶ木のあたりです。著者の青木茂が、いまは弁天橋の近くにある「三太旅館」の前身の釣り宿を気に入っていて、そこで見聞きしたことが、物語の中核となっています。まだ津久井湖ができていないころの、津久井の「原風景」みたいなものが残っていた時代の物語です。
「道志村」の小学校に通う三太や留、定、花子、そして花荻先生……。懐かしく思い出される方は、もう50代以上でしょうか。残念なことに、いま「三太物語」を偲ばせるものは、30冊ほど刊行された「三太物語」本のうち、唯一購入可能な偕成社版の『三太物語』と、地元では「三太旅館」だけです。
休みの日に、『三太物語』を手にとって、道志川ぞいの「三太の史跡巡り」でもしてみませんか。たとえば、青山水道から、弁天橋、三太旅館をとおって、いまでも橋桁がのぞいている旧道志橋まで……。ちょうどこのあたりは、三太とその仲間たちがいつも遊んでいたところです。この散歩で、もしかすると、この半世紀の間になくしてしまった大事なものなんかが見えてくるかもしれません。
山本書店顧問 山本恭一
三太カードの名前の由来は、青木茂原作の「三太物語」からです。
三太物語に詳しい、山本書店顧問山本恭一氏には、これからも三太物語、
そして津久井について語っていただき、シリーズとして継続する予定です。 |
|
| |
|
|